
社会医療法人雪の聖母会
理事長 井手義雄
社会医療法人雪の聖母会 聖マリア病院は、本年9月25日で開設70周年を迎えることができました。開設以来、皆さま方の温かいご指導、ご理解、ご支援により、現在まで無事に活動を継続することができました。職員を代表し心より感謝申し上げます。
さて、聖マリア病院の診療活動の起点は、私の祖父井手用蔵(現長崎大学医学部内科学)が久留米市荘島町に1915年(大正4年)4月に開業した「井手内科医院」で、今年で108年になります。井手内科医院は、久留米市の空襲で焼失、その後48年2月に久留米市日吉町に「井手医院」として再開します。50年の医療法改正により医療法人制度が施行され、52年3月に井手医院を合名会社小羊会井手医院に改組し、同月に「医療法人雪ノ聖母会」を設立、翌年の53年に「カトリックの愛の精神による医療活動」を基本理念とする「聖マリア病院」を開設しました。
雪ノ聖母会の初代理事長には、私の父井手一郎(九州大学医学部放射線科学)が就任し、父のいとこ井手速見(長崎大学医学部小児科学)、同門の阿武保郎(九州大学医学部放射線科学)のカトリック医師3人、福岡教区久留米カトリック教会主任の棚町正刀神父、およびカトリック信者の方々で活動が開始されました。祖父の用蔵は、福岡県三井郡大刀洗町のカトリックの村の出身で、祖母ナカは長崎市の浦上の潜伏キリシタンの子孫です。
父一郎は、九州大学医学部卒業後放射線科に入局、その後陸軍航空隊の軍医として負傷兵を治療し、陸軍病院等でも勤務。戦後すぐに九州大学医学部による長崎原爆被爆者に対する最初の救護班員として爆心地の被爆者の救護活動、その後は被爆者の治療および健康診断等に従事しました。53年9月に聖マリア病院を開設しましたが、その年の2月に祖父用蔵が帰天し、6月には久留米市の大水害に見舞われました。その大水害によって資材が高騰、不足したため、久留米信愛学院の設立母体の「幼きイエズス修道会」のご支援を受けて、修道院の建物の一部を譲り受け診療が開始されました。診療は、結核の入院患者が中心でした。その後、結核患者の減少に伴い、交通事故を中心とした救急医療へ移行し、井手速見によって筑後地区で最初の未熟児センターが開設され、聖マリア病院の基礎が築かれました。90年、一郎の長男道雄(久留米大学医学部外科学)が理事長に就任。その後は、親子による理念の具現化が進められ、地域医療、保健、福祉、看護教育、国際協力への取り組みが積極的に展開されました。
2004年1月に父一郎が、その後を追うように7月に兄道雄が帰天しました。父は、私に軍医時代や、長崎での被爆者の診療のことをほとんど話してくれませんでした。「戦友が自分の横で敵の銃弾で撃たれた途端、恐怖と憎しみで人は人でなくなる!」とか、「安いウイスキーに放射線を照射すると、ブランデーが飲める?」などの話を覚えています。父は、時々ビックリするような提案をしますが、会議の終わりにはいつも「マリア様には既に話している。神様はご存じだ!」と言っておりました。
聖マリア病院の歴史は感染症の結核に始まり、感染症のコロナの取り組みで70周年を迎えました。私どもは、過去の活動内容を見直し課題を洗い出し、次のミッションヘの準備をしなければなりません。今後とも皆さま方のご指導、ご理解、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
また、混迷する世界情勢の中で私どもの活動にご支援いただいています駐日ローマ教皇庁大使館、在福岡ベトナム総領事館、ローマ教皇庁立ミラノ外国宣教会、韓国カトリック医療協会、マラウイ国(アフリカ)、ラオス国の支援活動にご協力いただいている国際協力機構(JICA)、釜山カトリック大学校、プノンペン大学(カンボジア)、ソウル聖母病院、アイルランガ大学病院(インドネシア)、タイグエン病院(ベトナム)、ローマ教皇庁立バンビーノ・ジェズ小児病院(イタリア)の皆さま方に感謝申し上げますとともに、今後も戦争のない平和な国際社会へ向けて活動を行いますので、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
皆さま方へ、神様の豊かな祝福がありますようにお祈り申し上げます。
当法人の名称「雪の聖母会」ですが、8月5日の夜、聖母マリアのお告げによってローマのエスクイリヌスの丘の頂上に雪が降り、この雪で覆われていた部分を中心にして聖母マリアに捧げる聖堂が建設されたことに由来します。この聖堂はローマにあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂と呼ばれています。ローマに滞在される場合はぜひ訪問されてください。
ローマでは数世紀にわたってこの祝日を8月5日に祝っています。当法人「雪の聖母会」の記念日も8月5日です。